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チーム紹介

グライダーとは

 グライダーとは、エンジンもプロペラも使用せずに気流にのって飛行することのできる航空機です。よく鳥人間と間違われますが、自ら機体を設計・製作する鳥人間とは全く異なり、主にヨーロッパの機体メーカーが製造したグライダーを購入して使用しています。

         

 グライダーは飛行中、体感できないほどのレートでゆっくり高度を下げていきますが、知識や経験、操縦技術を駆使して上昇気流をつかめば、自力で上昇することさえ可能です。時には高度1000メートル以上、距離100キロメートル以上飛行することができます。

 グライダーは最初、どのようにして離陸するのでしょうか。塾航空部の訓練では多くの場合ウィンチという機械を使用します。

 ウィンチとは、機体を曳航するワイヤーの巻取り装置です(上の写真)。約1キロメートルに及ぶワイヤーを機体と接続し、ウィンチがワイヤーを高速で巻き取ることで、凧揚げの要領でグライダーが浮き上がります。高度約500メートルに達したグライダーは自らワイヤーを切り離し、あとは自由に飛行します。


保有機体

JA2472

・コールサイン: 慶應21

・登録記号: JA2472

・型式: アレキサンダーシュライハー式ASK21型

・製造年: 1991年

・最大離陸重量: 600kg

・最良滑空比: 34 (単座 85km/h)(複座 90km/h)

・最小沈下率: 0.65m/s (単座 67km/h) 0.72m/s (複座 72km/h)

・失速速度: 62km/h (単座) 65km/h (複座)

 

 西ドイツのアレキサンダー・シュライハー社製の全GFRP製の複座機。胴体はハニカム・サンドイッチ構造が採用され、性能、安定性、強度、どれをとっても優秀である。失速に至っては迎え角を小さくするとマッシュに入り、スピンに至っては重量重心位置を後方よりにしてもほとんど旋転しない。主たる用途は練習だが、その性能と汎用性の高さからクロスカントリーや曲技にも用いられる。一年生は最初この機体で練習を行い、ファーストソロに出る。部員にとって言わば「母なる機体」。



JA2551

・コールサイン: 慶應23

・登録記号: JA2551

・型式: アレキサンダーシュライハー式ASK23B型

・製造年: 1995年

・最大離陸重量: 380kg

・最良滑空比: 34(90km/h)

・最小沈下率:0.66m/s (74km/h)

・失速速度: 58km/h


 アレキサンダー・シュライハー社製の単座機。現在は6thソロから乗ることを許される。基本的な用途は練習だが、慶早戦では競技機として用いられる。ASK21を単座化したものなので基本的な性能はASK21とあまり変わらないが、重量が軽いためフワフワ浮いている感じがあり、少し不安定な分素直に動いてくれる。



JA68MK

・コールサイン: 慶應ディスカス

・登録記号: JA68MK

・型式: シェンプヒルト式ディスカス-b型

・製造年: 1997年

・最大離陸重量: 525kg

・最良滑空比: 42.5 (100km/h)

・最小沈下率: 0.61m/s (78km/h)

・失速速度: 水バラ無し 60km/h


 JA2418と同じ型式の機体。実はピトー管とトータルエナジーの位置が異なっているが性能は基本的に同じ。ただ比較的新しい機体であるため風切り音が小さく、また内装がキレイ。



JA2418

・コールサイン: 慶應YS(ヤンキー・シエラ)

・登録記号: JA2418

・型式: シェンプヒルト式ディスカス-b型

・製造年: 1988年

・最大離陸重量: 525kg

・最良滑空比: 42.5 (100km/h)

・最小沈下率: 0.61m/s (78km/h)

・失速速度: 水バラ無し 60km/h


 西ドイツのシェンプヒルト社製のスタンダードクラスの高性能単座機。主翼は半分から少し後退しており、主輪が引き込む。操舵感も他と比較するときわめて軽く、音も静かである。はじめてこの機体に乗った部員はそれまで乗っていた練習機と違いなかなか沈下しないことに驚かされる。20年以上たってもまだ使用されている息の長い機体。



JA22MD

・コールサイン: 慶應デュオ

・登録記号: JA22MD

・型式: シェンプヒルト式デュオ・ディスカス型

・製造年: 1997年

・最大離陸重量: 700kg

・最良滑空比: 45 (100km/h)

・最小沈下率: 0.58m/s (78km/h)

・失速速度: 69km/h


 シェンプヒルト社製の全幅が20mもある巨大な超高性能複座機。置いてあるだけで対岸の他大を威圧する。2009年にオーバーホール、ウィングレット改修が行われ、さらに性能が向上した。大抵一度上がってしまえば、もう数時間は帰ってこない。重いので操舵感は緩慢だが、性能が他と比べ圧倒的に良い。重い上に多くの場合ショルダーが一番奥のためクルーの立場からすると親の敵のような機体。


塾航空部の活動

塾航空部は、埼玉県熊谷市の妻沼滑空場にて合宿を行っています。妻沼滑空場は利根川の河川敷にある風光明媚な場所です。滑空場は多くの他大学航空部と共用しているため、合宿を通じて他大学との交流も深まります。

授業期間中は月2回の週末合宿に加え、平日に不定期でミーティングを行っています。長期休暇中は月2回ほどの1週間合宿によって集中的に練習を行います。

合宿中は、毎朝7時に宿舎を出発して訓練開始の準備をし、9時頃から飛行を開始します。日没まで訓練を行ったあとは、宿舎に帰って係作業を行ったり、その日の自分のフライトを分析したりします。22時には消灯し、翌日に備えて睡眠時間を確保します。雨や強風などで訓練ができない場合は学科を受けるなどして実りのある合宿になるよう努めています。

訓練では、約30名の部員が交代で役割分担をしてグライダーを飛ばしています。機体を操縦するパイロット、上空と地上の管制をするピスト、実際に機体を取り回すクルー、機体の曳航操作を行うウィンチマンなど、多くの部員が連携することで、はじめてグライダーを飛ばすことが可能になるのです。


塾航空部の歴史

  慶應義塾体育会航空部の歴史は、昭和5年に設立された「航空研究会」の創立に始まる。昭和2年にリンドバーグがニューヨーク〜パリを33時間30分での横断に成功し、空への憧れがますます高くなる時期での創立であった。当初は飛ぶこと以外に、理論や設計、製作も大きな部の目的であり、文連の所属であった。部は発展していく一方で、日本は激動の時代を迎えている最中で、満州事変、太平洋戦争と戦争の時代に入っていった。あくまでも趣味で始められた「航空研究会」も戦争が始まるにつれて搭乗員養成と訓練へと変わっていく。実際、多くの先輩方が戦地に向かわれた。そして昭和20年、終戦を迎えた日本はGHQの指導のもと、一切の航空活動が禁止される。我が部はもちろん、日本の航空界において厳しい時代だったと言えるであろう。

 航空禁止令が解除されたのは昭和26年のことである。これと同時に慶應の「航空研究会」は「慶應義塾航空クラブ」と名前を変えて、復活を果たした。その2年後、早稲田大学や法政大学と定期競技会を実施するに至る。

 戦後の偉業として挙げられるのは、高性能機三田式Ⅰ型機の製作である。卒業生の集う"三田航空クラブ"が中心となり設計、製作が行われ、4年の歳月をかけて昭和31年に完成する。まさに卒業生、学生が一体となって、慶應においてグライダーの完全な復活を遂げたと言える。三田式Ⅰ型は後に、2900mの復座グライダー獲得高度記録へ貢献することとなる。昭和44年には正式に体育会に加盟し、名称も現在の慶應義塾体育会航空部となった。使用機体はドイツ、チェコスロバキアなどグライダー先進国から積極的に導入し、現在使用しているアレキサンダー社のASK21、ASK23など、時代ごとの新鋭機を使って効率的かつ内容の濃い訓練を重ねている。

 創立から74年の経過した慶應義塾体育会航空部は、まさに「空の王者」と言えるまでに成長した。74年間に渡って、常に空に夢を抱いたOB・OGの方々が部に貢献され、それが伝統となって引き継がれている慶應義塾体育会航空部。近年では全日本学生グライダー選手権の8連覇という偉業も達成し、部員のさらなる技術の向上、部の発展に向かって日々訓練を行っている。

参考文献:『積雲』第15号 佐藤武元部長、松尾幹男先輩、大村鍠太郎先輩の投稿文より編集


アクセス
妻沼滑空場
埼玉県熊谷市葛和田1974-1